Ⅰ 戦後の混乱と諸改革 1947-1949

写真:3枚 更新:2020/06/08 管理者

 日本の戦後史は、昭和20年(1945)8月14日にポツダム宣言の受諾を連合国側に通告し、翌15日のラジオ放送で天皇がそれを国民に知らしめたことから始まる。埼玉県には、昭和20年(1945)11月1日大宮市(現さいたま市大宮区)の片倉工業株式会社大宮工場に埼玉軍政部(のち、浦和市(現さいたま市浦和区)の埼玉会館別館に移転)が置かれ、様々な民主的改革や福祉政策が行われた。一方で、食糧不足など県民生活が混乱する中、昭和22年(1947)9月に関東・東北地方を襲ったカスリーン台風は、県内各地に大きな被害をもたらした。

Ⅱ 戦後の終わりと復興への動き 1950-1954

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 終戦から5年、昭和25年(1950)に勃発した朝鮮戦争を契機としたいわゆる「朝鮮特需」により経済復興への兆しがみえてきた。苦しい生活を強いられながらも子供たちの笑顔に戦後の終わりを感じられるようになった。上下水道や道路などインフラ整備が進み、「国鉄復興五か年計画」により高崎線の電化が行われた。また、昭和28年(1953)から「昭和の大合併」が始まり、新たな市が続々誕生した。

Ⅲ 成長への胎動 1955-1960

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 日本経済は昭和28年(1953)には戦前の水準を上回った。県内でも南部を中心に経済の発展、人口の増加が著しく、白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫のいわゆる「三種の神器」をはじめとした家電製品が普及した。他方、県内の米軍基地をめぐっては航空機の墜落事故などが問題となった。

Ⅳ 「政治の季節」から「経済の季節」へ 1961-1964

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 昭和30年(1955)頃から始まった高度経済成長のなかで、埼玉県内では工業化が進んだ。そうした成長を支えたのは、地方出身の若者であった。また核家族化が急速に進展し、県営住宅や日本住宅公団による大規模住宅団地が建設され、東京のベッドタウン化が進んだ。

Ⅴ 東京オリンピックと埼玉県 1958-1964

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 昭和39年(1964)10月10日、東京の国立競技場で第18回オリンピック競技会東京大会(東京オリンピック)が開幕した。埼玉県内でも戸田でボート、大宮でサッカー、所沢でクレー射撃、朝霞で射撃・近代五種のピストル・近代五種の乗馬の競技が行われた。国立競技場の聖火台は川口の鋳物で製造され、また、開幕前には中山道を通る聖火リレーを多くの県民が迎えた。