お知らせ

令和4年度冬季企画展 国指定重要文化財公開「感染症と対策の歴史-祈りから『いのり』へ-」

 

 新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の感染拡大が顕著に表れて3年が経とうとしています。未知の脅威にさらされた3年間と言えるでしょう。現在においても感染状況は収束と新たな変異株の拡大を繰り返しています。COVID-19に対する感染防止対策と社会経済活動の両立を図る私たちは、この世界的なパンデミックを、先人たちが経験したコレラやスペイン風邪のように歴史の中に位置付けることになるでしょう。

 本企画展では、国重要文化財である埼玉県行政文書を中心とした収蔵資料によって、前近代から明治、大正、昭和にかけての感染症と人々の闘いの歴史を概観します。感染症が完全に消え去ることのない世の中にあって、私たちはお互いを支えあい、これまでに習得した知見を次の世代へと継承していくことになります。今回の展示が、私たちがwithコロナの時代を生きていくための指標探しの機会となれば幸いです。

 

1 企画展の概要

(1)会  期 令和4年12月13日(火曜日)から令和5年2月12日

         (日曜日)まで        

         ※資料保存のため、会期中に一部資料の入れ替えを行います。

(2)会  場 県立文書館 1階 企画展示室

(3)休 館 日 毎週月曜日、祝日(2月11日(土曜日・建国記念の日))

       12月29日(木曜日)~1月3日(火曜日・年末年始休館日)

       1月31日(火曜日・月末休館日)

(4)開室時間 9時から17時まで

(5)観 覧 料 無料

(6)アクセス JR浦和駅西口下車徒歩15分、JR中浦和駅下車徒歩18分

   ※原則、公共交通機関を御利用ください。

※新型コロナウィルス感染症等の状況によって、休館及び会期変更となる場合があります。企画展の詳細、最新の休館情報等については、文書館ホームページ(https://monjo.spec.ed.jp/)を御覧ください。

 

2 展示構成と主な展示資料

プロローグ 見えないものへの畏れ

 ~江戸時代以前、病は目に見えないものの所業とされてきました。現在の私たちの周囲にある伝統的な疫病除け・悪疫除けの習慣を紹介することによって、歴史上で繰り返されてきた伝染病との闘いを身近に感じて頂きます。

1.江戸のくらしと疫病

~江戸時代には現在の法定伝染病に相当する疱瘡・麻疹・水痘などが度々爆発的に流行しました。当時の医療は、日本古来の「呪術的医療」と欧米から移入された「科学的医療」の二重構造であったと言われています。本章では、その2つの視点を踏まえて江戸時代の感染症とその対策を概観します。

 主な展示資料 麻疹養生心得方(はしか絵)(小室家文書、県指定)

        奇悪病時行ニ付高山御祈祷中日記(林家文書)

         安藤文澤書状(若殿江牛痘接術及牛痘繁盛其成果ニ付)(小室家文書、県指定)

2.開国と新しい感染症-医療と衛生-

~明治時代に入ると、海外との交易により日本も世界規模での感染症拡大の渦中に置かれることになります。そのなかで埼玉県や明治政府はどのような対策をとっていったのでしょうか。新たに「衛生」という考え方がもたらされ、医療の基礎が築かれていく過程を見ていきます。

 主な展示資料 証(種痘済)(武笠(寛)家文書)

         検疫日記 第壱号(小林(正)家文書)

         埼玉県衛生規則(埼玉県行政文書、国重文)

3.感染症をめぐる埼玉県の取組

~明治時代以降、様々な感染症が猛威をふるいました。各時代の代表的な感染症に対する埼玉県の取組を紹介しつつ、我々が生きる現代との共通性についても考えていきます。

 主な展示資料 虎列刺病流行ニ付各自衛生法ヲ守リ予防方注意ノ件(埼玉県報号外)(埼玉県行政文書、国重文)

        流行性感冒予防ノ為教授開始時刻遅延等ニ付各郡長ヘ通牒(埼玉県行政文書、国重文)

         駅頭の種痘(熊谷)(戦後報道写真)

エピローグ 現代を生きる私たちと感染症

 ~科学によるウィルスの解明が進むなかで、私たちは見えない病への畏れから脱却してきました。しかし、感染症が完全に消え去ることのない世の中にあって、私たちはお互いを支えあい、時の経過に身をゆだねながら、今回得た知見を次の世代へと継承していくことになります。そのさまは、命をつなげ、いのりをつなげてきた先人たちの功績とよく似ているのかもしれません。

 

3 展示点数

約40点

 

4 主な展示資料

1 麻疹養生心得方〔はしか絵〕(小室家文書6369-1、県指定、文久2年〈1862〉7月)

はしか絵

 麻疹の予防啓発のために発行された、歌川貞秀による「はしか絵」です。江戸時代後期に蘭学の一種として近代医療がもたらされましたが、依然、世の中に普及していたのは民間療法でした。この絵には麻疹にかかった人が「食してよき物」や「食して悪しき物」のほか、「麻疹まじない奇薬」なども記されています。

 

2 「芳蘭雑話(症状別治療法)」(小室家文書23、県指定、天保9年〈1838〉ヵ)

 

 

 

 

 

 

 小室家は、比企郡番匠村(現ときがわ町)の医家です。幕末から明治時代初めにかけて活動した3代元長は、蘭学を精力的に学び、新しい医療法をもたらしました。この資料は、症状別に治療の方法をまとめたものです。腕の種痘をうつべき位置や、その大きさなど図で描かれています。幕末の埼玉県における医療の最前線を知ることのできる貴重な資料です。

 

3 種痘施行ノ方法創立(第一四号)(埼玉県行政文書 明190、国重文、明治8年〈1875〉1月24日)

種痘施行

 

 

 

 

 

 

 天然痘の流行に伴い、明治8年(1875)、埼玉県において「種痘施行ノ方法」が成立しました。現在のワクチン接種に当たります。この前年に文部省から「種痘規則」や「種痘心得」が布達され、埼玉県も種痘を推奨しましたが、種痘の効果を信じずに命を落とす事例が多く発生していました。そこで埼玉県は、種痘の位置づけを明確化するとともに、特に小児に対する接種を促進していきます。

 

4 駅頭の種痘(熊谷)(戦後報道写真、S26023-1-1、昭和26年)

駅前の種痘

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和26年(1951)4月7日の「埼玉新聞」に掲載された写真です。戦後GHQの指導の下で種痘が行われたのに続き、埼玉県としても独自に種痘の普及を図っていきました。この写真は、同年に起こった「天然痘騒ぎ」を受け、熊谷駅において通勤者を対象に種痘が行われた様子を示すものです。