お知らせ

令和6年度企画展

「天体観測-歴史のなかの星と人びと-」

 人は古来、星を読むことで吉凶を占い、暦をつくってきました。また、文学においても、星は物理的には遠い存在でありながら、身近なものとして記されています。

  本企画展では、日本の歴史における人びとと星の関わりを収蔵資料から読み解いていきます。人びとは、星をどのように捉え、どのように書き描いたのか。そして、それらが人びとの生活のなかにどのように取り入れられ、位置づけられてきたのか。歴史学以外の視点も取り入れ、現在の私たちとは異なる星とのかかわり方について考えます。

 

 チラシはこちらからダウンロードできます→チラシ(A4表).pdfチラシ(A4裏).pdf

 

1 会  期  令和6年9月14日(土曜日)~12月22日(日曜日)

2 開館時間  午前9時~午後5時

3 休  館  日  毎週月曜日と国民の祝日、及び10月31日、11月19日~28日

4 会  場  県立文書館 1階 展示室2

 

5 展示構成

 はじめに 星に祈る―星祭―

  年に1度の七夕は、私たちが星や宇宙を身近に感じる時です。また、同じく星祭と呼ばれる密教の法では、天変地異を除け息災延命を祈るために、星をまつり、供養します。展示の導入として、星への祈りについて収蔵資料を用いて紹介します。

 〈主な展示資料〉「冬至星祭」(猪鼻家文書313)

         〔七夕〕(クレヨン画)(川田氏収集文書11283)

       

 

 (1)星を愛でる―文学―

 清少納言は「星はすばる」と随筆『枕草子』に記しました。『大鏡』においては、出家する花山院の行く先を、有明の月が怪しく明るく照らし、やがて一群の雲が隠します。身近にあった星々は、時に吉凶を示すものとして描かれています。文学作品の記述から、当時の人びとの星や宇宙をどのように捉えていたかを探ります。

 〈主な展示資料〉「源氏物語(まほろし)」(奥貫家文書2992)

         「大鏡 巻一」(奥貫家文書3372)

        

 

 

 (2)星を読む①―陰陽道・易・占―

 陰陽道とは、宗教的な祭祀や呪術等を指します。陰陽寮は、朝廷において天体の観測、暦の製作、漏刻(水時計の管理)、陰陽(占い)を司りました。江戸時代になると、陰陽道は民間において暦や方角の吉凶を占う民間信仰として広く社会へと定着していきます。

 〈主な展示資料〉〔九星生命吉神軒支表外卜占の書〕(新井(侊)家文書23287)

         渋沢宗助書状(坂本家文書2859)        

      

    

 (3)星を読む②―暦―

 明治6年(1873)、明治政府はそれまで使用していた太陰太陽暦を廃止し、太陽暦を採用しました。太陰太陽暦は月の満ち欠けをもとに作成した暦です。その作成には、二十四節気の設定や閏月の挿入、日食・月食の予告などを行わなければならず、天体の観測や計算が必要でした。

 〈主な展示資料〉「改暦弁」(福沢諭吉著、平川家文書1010-2)

         太陽暦耕作一覧(船津伝次平考述、町田家文書180)

      

 

 

 (4)星を観る―天文学―

 日本における天文学の端緒は、中国からもたらされたものでした。日本の天文学は独自の変容を遂げ、江戸時代に至ると、欧州から新たな天文学がもたらされたことにより大きな転換期を迎えました。収蔵資料から、江戸時代から現代に至る天文学の変遷を概観します。

 〈主な展示資料〉「地動疑問録」(藤原淑蔭自筆、井上家文書814)

         「初学天文指南鈔 巻之一」(埼玉県教育史編さん室移籍文書 101)

       

  

 おわりに―星を見た人びとの記録―

 学問として天文に触れることはない人びとも、壮大な天体ショーに接した際には、その様子を記してきました。頭上を仰いだ時、普段と異なる星の瞬きに遭遇した人びとはどのように感じたのでしょうか。本企画展の結びとして、現代に至るまでの星を見た人びとの記録を紹介します。

 〈主な展示資料〉伝染性流行病届之発期之記録(小林(正)文書1663)

         新訂万国全図(測量所臣高橋景保、粕谷氏収集文書 1)※パネル展示