令和3年度もんじろうかわら版

令和3年度 もんじろうかわら版

地図教室「赤山陣屋と日光御成道をめぐる」に行ってきました

 令和3年11月28日(日)、地図教室「赤山陣屋と日光御成道をめぐる」を川口市にある赤山陣屋跡と日光御成道沿いにて開催し、講義と野外実習を行いました。参加者は定員10名のところ、全員出席でした。

青空の下で話を聞く参加者

 青空の下で話を聞く参加者

 

 当日の天気は見事な快晴で少し風がありましたが、温かい日差しに歩くと体の火照りを心地よく冷ましてくれ、歩くのにはちょうど良い天気となりました。

 赤山陣屋を模した大型模型にて出野講師の解説

 川口市教育委員会教育総務部文化財課学芸員の出野講師から、赤山歴史自然公園にて赤山陣屋跡の概要と日光御成道を含めた川口市の歴史、そして、地形や自然を踏まえた現在の様子についてお話をしていただきました。また、赤山歴史自然公園歴史自然資料館内にある赤山陣屋を模した大型模型を活用して、具体的に地形の魅力や自然についての解説を受け、学びをさらに深めました。

             

赤山陣屋を模した大型模型にて出野講師の解説    

 

 講義のあとは、今回の地図教室のメインである野外実習に出発しました。行程は赤山歴史自然公園から伊奈氏の菩提寺である源長寺、小谷三志の墓がある地蔵院などを経て、御成坂公園までの約5.1㎞です。途中のポイントごとに、出野講師が解説し、参加者も熱心に聴いていました。

地蔵院についての解説を聴く参加者

 

 地蔵院では、小谷三志の解説を聞いた後、住職の御厚意で樹齢600年のタブノキを見せていただきました。女性を富士山に初登頂させ、5万人の信者がいたとされる小谷三志は、二宮金次郎像で有名な二宮尊徳へ影響を与えるほどの人物でありました。弟子たちに「立派な墓を建ててくれるな」と遺言した墓は三志の人柄をしのばせるものでした。

 

 

      

   地蔵院についての解説を聴く参加者

 

 参加者は自分の足と五感で川口市の自然に触れながら、学芸員の解説を熱心に聴いて、川口市の歴史や地形について学習してきました。そして、誰もけがをすることなく、楽しみながら歩き切り、ゴール地点である、御成坂公園にたどり着きました。天気も素晴らしく、はるか前方に富士山がはっきりと見ることができました。

鳩ヶ谷の名称の由来といわれる谷地にて見える富士山

 

  

 

 

 

 

 

 

 

                  

                  鳩ヶ谷の名称の由来といわれる谷地にて見える富士山

 

 最後に、緊急事態宣言は解除されたとはいえ、新型コロナウイルス防止対策に御協力いただき参加された皆様、講師の出野学芸員、当館の地図教室開催に御協力を頂きました赤山自然公園地域物産館、歴史自然資料館、川口市文化財センター別館郷土資料館の皆様に厚く御礼を申し上げます。

パリへ行ったのは渋沢栄一だけじゃない!【人物紹介:清水卯三郎】

 大河ドラマで描かれた1867年のパリ万国博覧会に参加した一行には、渋沢栄一のほかにも埼玉県にゆかりのある人物がいました。羽生領町場村(現羽生市)出身の清水卯三郎(しみずうさぶろう)です。

 

 文政12年(1829)、卯三郎は羽生の酒屋に生まれ、幼いころより伯父である甲山村(現熊谷市)の豪農根岸友山(ねぎしゆうざん)の家に預けられ、友山や、友山と親交のある知識人たちから学問を習いました。根岸家で目にしたオランダ語に興味を持った卯三郎は、伯父のつてで佐倉順天堂(さくらじゅんてんどう)の佐藤泰然(さとうたいぜん)や、幕府天文台翻訳員の箕作阮甫(みつくりげんぽ)等蘭学者からオランダ語を学びました。さらに安政6年頃(1859)には開港地横浜で商売をしながらアメリカ公使ハリスの通訳ポートマンから英語を習いました。

 文久3年(1863)に薩英戦争が起こると、卯三郎はその優れた語学力を買われ、通訳としてイギリス海軍の旗艦に乗船し、船上から薩摩藩との戦いを目撃しました。

 そして慶応元年(1865)、幕府がパリ万国博覧会の出品者を集めていると蘭学の師である学者箕作秋坪(みつくりしゅうへい)から誘われ、幼少より欧米に行きたいと考えていた卯三郎は参加を決意します。

 清水卯三郎の自伝

【史料①】清水卯三郎自伝「わがのよき 上」(清水家文書№1)

 

 【史料①】は、明治30年(1897)に70歳の卯三郎がまとめた自伝です。

 卯三郎は箕作から、資金は幕府が貸してくれるので万国博覧会への出品を「君も願い出てはどうだ」と誘われますが、商人の自分の身分では許されないだろうと答えています。その後、親戚で幡羅郡四方寺村(しほうじむら、現熊谷市)の名主吉田六左衛門に相談し、賛同を得てパリ行を決意しました。卯三郎にとってヨーロッパへの渡航は念願だったと記されています。

 なお、明治時代の卯三郎は国民の知識向上のために複雑な漢字を廃してわかりやすい「かな文字」を普及すべきというかな文字論者であったため、本資料はすべてがひらがなで書かれているのが特徴です。

 根岸家文書5139-2

【史料②】根岸友山・伴七宛清水卯三郎書状(根岸家文書 №5139-2)

 

 【史料②】は、1867年2月22日、エジプトのアレクサンドリアに到着した際に伯父根岸友山に出した書状です。一行は前日にスエズに寄港し、汽車(鉄道)でアレクサンドリアに移動していました。このとき初めて汽車に乗った卯三郎は、馬車よりはやく籠に乗るよりも楽だがとても揺れてがらがら騒がしいという感想を伝えています。

 根岸家文書5139-1①

 

根岸家文書5139-1②

 【史料③】根岸友山・伴七宛清水卯三郎書状(根岸家文書 №5139-1)

 

 【史料③】は、1867年3月7日にパリに到着した卯三郎が10日に出した書状です。建設中の博覧会場や欧米諸国の器械に驚いたと記されています。また、道中に見たイギリス支配下のインドの様子や、マルセイユの造船所に集まる軍艦から日本と欧米諸国との国力の差を痛感している様子がうかがえます。

  卯三郎はパリ万博の出品物として刀剣や錦絵、扇子等を用意しました。来場した人々から特に注目を集めたのは茶屋の展示でした。卯三郎は会場に数奇屋造り(すきやづくり)の水茶屋を再現し、日本から連れていった三人の芸者が実際に欧米人相手に茶や菓子をもてなしました。この茶屋の大盛況もあり、卯三郎はフランス皇帝ナポレオン3世から名前入りの銀メダルを授与されています。

 卯三郎は万博のあとイギリス、アメリカを見聞して明治元年(1868)5月に帰国しました。卯三郎は商人として欧米の様々な文物に興味を示し、石版印刷や陶器着色法、西洋花火、歯科器材などを日本に持ち帰りました。

 こうした欧米の技術を普及するため、卯三郎は「瑞穂屋」(みずほや)という書店を浅草に開業し、積極的に西洋の技術に関する翻訳書や啓蒙書の出版を行ないました。

 清水家文書15

【史料④】出版々権御願(「西洋烟火之法」) (清水家文書№15)

 

 卯三郎は明治43年(1910)に82歳で死去し、墓は埼玉県羽生市内の正光寺にあります。

 

令和2年度 もんじろうかわら版

令和2年度 もんじろうかわら版

R2-6『埼玉県史料叢書』第23巻「小室家文書二」を刊行しました!

 埼玉県立文書館で行っている事業の一つに史料編さんがあります。史料編さん担当は、本県の歴史や文化に関する重要な記録史料を読みやすく、かつ分かりやすいように翻刻・編集をして、『埼玉県史料叢書』として刊行することを最大のミッションとしています。

 

 その一端として、このたび第23巻「小室家文書二 四代小室元貞日記」を刊行いたしました。本書は、平成30年度に刊行した第22巻「小室家文書一 三代小室元長日記」の続編にあたり、比企郡番匠村(現ときがわ町)で産科の医師として活躍した小室家第四代目当主が記した日記24点を収録しています。

 

 23巻の表紙

 

 

22巻と23巻

 

 小室家文書は、小室家に伝わった総点数6377点及ぶに文書群で、近世・近代における県内在村文化の成熟度を示す史料群として学術的価値が評価され、埼玉県指定有形文化財となっています。

 

第23巻に収録した元貞の日記(一部)

 

 小室家四代目当主小室元貞の日記は、天保3年(1832)から、天保11年(1840)までにの23冊と、安政5年(1858)の元貞最晩年に記した1冊の、計24冊が残されていて、本書にはそれらをすべて翻刻し、収録しています。

 これらの日記からは、元貞の本業とする医療や門人の育成に関する記事のほか、番匠村の村政や村人たちの生業、生計、さらには年中行事や通過儀礼に関することなど、多様な内容が記録されていて、当時の医療活動はもちろん、山間農村の一年を通した生活をつぶさに読みとることが出来ます。

 

 23巻の内容

 

 ぜひ本書をお手に取っていただき、埼玉県の奥深い歴史に触れてみてください。

 

『埼玉県史料叢書』は既刊のものを含め、県立図書館をはじめとした県内公立図書館などで閲覧できるほか、埼玉県県政情報センター(県庁衛生会館1階)で有償頒布もしております(23巻は税込み2,117円)。地域史研究や生涯学習にぜひご活用ください。

(こまさん) 

R2-5 地図教室で彩湖へ行ってきました!!

 令和2年11月8日(日)、地図教室「彩湖へ行こう」を戸田市にある彩湖自然学習センターと荒川第一調節池にて開催し、講義と野外実習を行いました。参加者は定員20名のところ、1名が欠席し19名でした。

 昨年の地図教室は台風19号の影響で中止となっており、関係者一同、無事の開催を強く希望していた行事でした。当日の天気は薄曇りでしたが、お昼にむかって青空が広がる晴天となりました。

 野外実習に出かける前に、荒川上流河川事務所の天井講師から、荒川の概要と連続堤防建設や二瀬ダムの建設といった、これまでの治水対策の歴史、そして、現在実施中の治水対策と今後の課題についてお話をいただきました。また場所を変えて、彩湖を模した大型模型を活用して、彩湖の治水と利水の仕組みの解説を受けました。

 その後、屋上へと移動し、彩湖の全景を見ながら航空写真や地形図を用いて彩湖の建設前地形とその後の変遷を学習しました。

 講義のあとは、今回の地図教室のメインである野外実習に出発しました。行程は彩湖自然学習センターから横堤や荒川旧流路の三日月湖、戸田ヶ原自然再生エリアなどを経て、さくら草公園と昭和水門までの約5.6㎞です。

 途中のポイントごとに、当館の学芸員が解説し、参加者も熱心に聴いていました。

 また、荒川旧流路の三日月湖を利用した道満フィッシングパークでは、かつて荒川堤外地に居住されていた方からお話を伺うことができました。当時の生活ぶりや洪水で家が流されたときのお話など、実際に体験された方にしか語ることのできない、大変貴重な体験談でした。

 

青空の見える彩湖 参加者は自分の足と目で彩湖・旧河川跡の地形を実感しながら、学芸員の解説を熱心に聴いて、彩湖の治水・利水について学習していきました。

 そして、誰も怪我をすることなく、約5.6㎞の道のりを楽しみながら歩き切り、ゴール地点である、さくら草公園と昭和水門に辿り着きました。

 

 

 

 

 

 最後に、コロナ禍中にもかかわらず御参加いただきました皆様、講師の天井先生、当館の地図教室開催に御協力を頂きました彩湖自然学習センター、荒川上流河川事務所の皆様に厚く御礼を申し上げます。

 

R2-4 歴史講座「報道写真でふりかえる埼玉の戦後史」を開催しました!

 令和2年10月31日(土曜日)、歴史講座「報道写真でふりかえる埼玉の戦後史 ―復興から高度経済成長、そしてオリンピックへ―」を文書館講座室にて開催しました。

ソーシャルディスタンスを確保した会場 ソーシャルディスタンスを確保した会場

 

 立教大学名誉教授の老川慶喜先生を講師にお招きし、2月に刊行した『埼玉県史料叢書21 埼玉新聞社撮影戦後報道写真 フィルムのなかの埼玉 1947-1964』に掲載した写真をみながら、終戦から高度経済成長による社会の大変動のなか、前回の東京オリンピックへといたる本県の戦後史について御講演いただきました。

講師の老川先生

講師の老川慶喜先生

 

 当時の風景や人々の姿を鮮明に映し出した報道写真に加えて、本県出身の老川先生の体験に基づいたエピソードも含めたわかりやすいお話で、御参加の方々にも御好評をいただきました。

 川口で鋳造された旧国立競技場聖火台についてのお話

 川口で鋳造された旧国立競技場聖火台についてのお話

 

 今後も『埼玉県史料叢書』の内容や本県の歴史・文化に関連した講座を企画して参りますので、ぜひ御参加ください!

  埼玉新聞社撮影戦後報道写真も展示している、企画展「編さんのお仕事 ―史料編さんの四半世紀―」は当館展示室で11月20日(金曜日)まで開催中です。

企画展「編さんのお仕事」紹介ページ

 

 本県の戦後史を生き生きと映し出した懐かしい写真が多数掲載されている『埼玉県史料叢書21 埼玉新聞社撮影戦後報道写真 フィルムのなかの埼玉 1947-1964』は文書館閲覧室をはじめ、県内の公立図書館などでも御覧になれるほか、埼玉県県政情報センター(県庁衛生会館1階)、県内の教科書販売取次店で販売もしています(税込み2,090円)。ぜひお手に取ってみてください。

有償刊行物一覧(県政資料コーナー)

 (S)

R2-3 2階休憩コーナーに『埼玉県史料叢書』を紹介する展示を更新

もんじろう: 

 文書館では令和2年2月、『埼玉県史料叢書』第21巻「埼玉新聞社撮影戦後報道写真 フィルムのなかの埼玉1947-1964」を刊行したもん!

 2階休憩コーナー『埼玉県史料叢書』の紹介展示も更新したもん! 

 

 

 

 

 『埼玉県資料叢書』は、埼玉県に関する古代から現代までの重要な史料を活字化した史料集です。

『埼玉県史料叢書』について、過去に刊行したものなどの詳細はこちらをご覧ください。

 

 

『埼玉県史料叢書』第21巻「埼玉新聞社撮影戦後報道写真 フィルムのなかの埼玉1947-1964」は、埼玉県全域を対象とする日刊紙『埼玉新聞』を発行してきた埼玉新聞社が撮影し、当館に寄贈された資料群「埼玉新聞社撮影戦後報道写真」のなかから、一部を厳選して掲載したものです。

 

 

     

「埼玉新聞社撮影戦後報道写真」の総点数は、50万コマ以上に及びます。本書に掲載したのはそのうち、終戦後間もない昭和22年(1947)から東京オリンピックが開催された昭和39年(1964)までに撮影された512点の写真です。

 


もんじろう:

 むかしの埼玉県の様子がよくわかるもん!

 お友達のコバトンも興味津々だもん!  

 

 

もんじろう:

 本の内容の一部は、文書館のホームページにデジタル展示をしているもん!

 

 デジタル展示はこちらです。

 

 

 

 当館では現在、事前予約制というかたちで、2時間以内での閲覧業務を再開しています。利用時間も限られた中ではありますが、当館をご利用の際には、ぜひ2階休憩コーナーの『埼玉県史料叢書』の展示もご覧ください。

 

 『埼玉県史料叢書』は当館閲覧室だけでなく、県内の公立図書館などでもご覧になれるほか、埼玉県県政情報センター(県庁衛生会館1階)で販売し、県内の教科書販売取次店では取り寄せ販売も行っています(税込み2,090円)。ぜひご活用ください!

(コマさん)

 

R2-2 古文書整理・保存作業2

今回は、「古沢家文書」の資料整理作業についてご紹介します。

資料を適切に管理するために、約30,000点にものぼる「古沢家文書」の資料1点1点に番号を振り当て、情報を読み取り、目録を作成します。

しかし、書状はいわゆる「くずし字」で書かれていることが多いので、丁寧に読み取っていきます。

分からない文字に出会ったときは辞書で調べたり、学芸員各々の知識を持ち寄って資料とにらめっこをしたりしてます。

 

 

根気の要る作業ですが、目録を作成することによって資料群全体の構造や資料それぞれの内容を知ることができ、当館の資料検索システムですぐに検索ができるというメリットがあります。

 

作業中の「古沢家文書目録」は令和3年3月中の刊行を予定しています。

目録を作成した後、資料は封筒に入れて保存します。

当館では、資料の保存に適した中性紙封筒を使用しています。

中性紙は、通常の封筒に使用されている酸性紙より耐久性が高く、さらに紙の酸化を防ぐ・埃から資料を守る等の効果があります。

 

 

作業後の資料は保存箱に収め、保存庫にて大切に保存・管理をしています。

ちなみに、この保存箱も中性紙で作られた特注品です。

 

 

当館では、地域の歴史や人々のくらしを物語る貴重な古文書の整理・保存をしながら、古文書の魅力を伝える取組を行っています。

少しでも当館の学芸員の業務を知っていただければ幸いです。(海)

R2-1 古文書整理・保存作業1

現在、当館は、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、当面の間、臨時休館していますが、

資料の整理・保存作業等を継続的に行い、開館に向けた準備を進めています。

ここでは、準備の様子を少しずつお伝えしていきます。

 

今回は、現在進行中の「古沢家文書」の整理・保存作業をご紹介します。

 

古沢家は、江戸時代に大里郡大麻生村(現熊谷市)地域の名主を務め、明治時代に郡区町村編制法が施行された際には、大麻生村を取りまとめる戸長として活躍しました。

当館に寄託された約30,000点にのぼる「古沢家文書」は、当時を生きる人々の様子を現代へと伝えてくれる貴重な資料です。

 

 

作業風景の一コマです。資料保護と新型コロナウイルス感染症対策のためにマスクを着用し、一定の距離を設けてコツコツと作業をしています。

次回は、作業の手順をご紹介します。(海)

 

平成31年度 もんじろうかわら版

R1-4 『埼玉県史料叢書』紹介展示、はじめました。

 627日(木)から2階休憩コーナーで、当館が刊行する『埼玉県史料叢書』の展示をはじめました。

 『埼玉県史料叢書』は、『新編埼玉県史』(昭和54年〔1979〕~平成3年〔1991〕刊行)に分量が多かったために掲載できなかった史料や、県史の編さんが終了した後に新しく発見された重要史料を、体系的に編集・発行するものです。文書館では1年に1巻ずつ発行し、現在、第1巻から第20巻までと第22巻を発行しています。(第21巻は令和22月発行予定です。)

 展示では、平成30年度に刊行した『埼玉県史料叢書22 小室家文書一』を紹介しています。「小室家文書」は、比企郡番匠村(現ときがわ町)に居住し、代々産科の医師として活躍した小室家に伝わった古文書であり、平成293月には「小室家資料」の名称で、7,622点の資料が県指定有形文化財に指定されました。

 本書は、江戸時代の文政9年(1826)から嘉永4年(1851)までに小室家三代当主小室元長が記した日記25冊と、小室家の医術などを記した参考史料8点を収録しており、小室元長が近隣の村々から遠方の村々まで往診に出掛ける様子や薬の製法、一家で外出する様子など、多種多彩な内容となっています。

 当館文書閲覧室・地図閲覧室・展示室にお越しの際は、2階休憩コーナーの『埼玉県史料叢書』の展示も是非ご覧ください。

 『埼玉県史料叢書』は当館閲覧室だけでなく、県立図書館をはじめとした県内公立図書館などでご覧になれるほか、埼玉県県政情報センター(県庁衛生会館1階)での販売もしています。地域史研究や生涯学習にぜひご活用ください。(T)

吉本富男当館元館長が御逝去されました

 当館の参事兼館長であった吉本富男様が、令和元年6月28日に御逝去されました(享年93)

 心より御冥福をお祈り申し上げます

 

 吉本富男元館長は、昭和44(1969)年に埼玉県立図書館文書課として当館が発足した際に課長として赴任されました。以後15年間にわたり、文書館としての独立、現在の新館舎の新築・移転など、文書館の発展に御尽力されました。

 この間、埼玉県地域史料保存活用連絡協議会(埼史協)や全国歴史資料保存利用機関連絡協議会(全史料協)設立の中心となり、それぞれ会長等を歴任されました。

 また、埼玉県議会史、新編埼玉県史、埼玉県行政史や多くの市町村史の編さんに携わられるとともに、埼玉県地方史研究会会長を務められるなど、埼玉県の地域史研究をリードされました。

R1-3 「埼玉の“ふみくら”-古文書から日本の歴史を見る-」開催中!

「埼玉の“ふみくら”-古文書から日本の歴史を見る-」開催中!

 

 6月25日(火)から9月1日(日)まで、文書館1階展示室で「埼玉の“ふみくら”-古文書から日本の歴史を見る-」を開催しています。
 
※展示替えがありますのでご注意ください。

 

 展示室の環境を資料保存に適したものとするために必要な期間を設け、4月2日(火)の再開館からおよそ3か月、いよいよ展示室もリニューアルオープンです。
 
      静かにオープンを待つ展示室

 

 サブタイトルにある“ふみくら”とは、書物や文書を納める書庫や文庫を表す古い言葉です。この展示では、埼玉県域のそれぞれの家や寺社などの“ふみくら”に伝えられ、現在は文書館に収蔵されている資料を展示し、江戸時代を中心とした日本の歴史をたどる内容となっています。

 
      万国地球輿地全図 平川家1857(前期のみ展示)

   

      高札(キリシタン禁止) 小島(栄)家1262


 歴史は古文書の一通一通から解き明かされるということを再確認し、江戸時代の埼玉県域に生きた人々に思いをはせていただきたいと思います。

 

 また展示を見た多くのみなさまに、現代の“ふみくら”である埼玉県立文書館の活動への御理解をいただければ幸いです。(ザラメ)


R1-2 記念シンポジウムを開催しました!

去る5月21日、当館主催の「文書館開館50周年&リニューアル記念シンポジウム」を、埼玉会館小ホールにて開催しました。

当日は大雨で足元の悪い中、大変多くの方々にお越しいただき、心より御礼申し上げます。

 

小ホールのホワイエでは、「埼玉県立文書館のあゆみととりくみ」と題し、パネル展示を行いました!

現在、こちらのパネルは文書館1階廊下および文書館ホームページで御覧いただけます。


【パネル展「埼玉県立文書館のあゆみととりくみ」】

【文書館フォトブースの館長】

【文書館を紹介】

 

記念講演では、国文学研究資料館長のロバートキャンベル先生から「蔵の中には小宇宙 ~江戸から明治の“ふみくら”を開く~」を御講演いただきました!

1時間の御講演ではありましたが、時が過ぎるのがあっという間に感じられるほど、興味深いお話でした。

 

その後、休憩をはさんでパネルディスカッション「“ふみくら”を開く-時代をつなぐ記録資料の世界-」を行いました。

慶應義塾大学経済学部の松沢裕作先生、東京大学文書館の森本祥子先生、行田市郷土博物館の鈴木紀三雄館長をパネリストにお招きしました。

コーディネーターは当館副館長が務めました。

 


【ディスカッション風景】

 

パネリストの皆さんからは、それぞれのお立場での経験を踏まえた興味深いお話を伺うことができました。

こちらは2時間を超える長丁場でしたが、あっという間でした!

 

御来場の皆様、長いお時間お付き合いいただきありがとうございました。

このシンポジウムで、記録資料の面白さや大切さを存分に感じ取っていただけたものと思います。

 

より多くの皆様に、記録資料を実際に手に取って御覧いただける当館の閲覧室にも是非足をお運びいただきたいと思います。

今後とも埼玉県立文書館をよろしくお願いいたします。(ザラメ)

R1-1 新規採用職員に「埼玉県の沿革」の講義を行いました。

 毎年4月、新たに埼玉県職員になった新規採用職員のために、県の行政を担う職員として必要な知識や制度を学ぶための新規採用職員研修が行われます。

 新規採用職員研修のなかで、公文書や古文書を保存・活用し、『埼玉県史料叢書』などの埼玉県の歴史に関する書籍を刊行してきた埼玉県立文書館が「埼玉県の沿革」を担当しています。今年も先頃、講義を行いました。

 「沿革」の「沿」とは「前に因って変わらないこと」、「革」とは「旧を改め変わること」という意味です。新たに採用された職員に、これからの仕事のフィールドとなる埼玉県について、長く変わらないこと、変わってきたことという、歴史や文化を学んでもらおうという内容になっています。

 講義のなかでは、埼玉県の地勢、文化財、輩出した人物、文献が残される以前の先史時代から現代までの歴史などについてお話しし、文書館の業務内容や、明治時代から埼玉県庁が作成してきた公文書が「埼玉県行政文書」として国の重要文化財に指定されていることなどにも触れました。

 新規採用職員のみなさんにはぜひ「埼玉県の沿革」の内容を今後の仕事に生かし、また文書館も利用いただきたいなと思います。

 実は、文書館は県政においてこんな役割もになっているのです。S

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