令和3年(2021)に、埼玉県は誕生して150周年を迎えます。そこで、文書館では、埼玉誕生150周年を記念して企画展「埼玉の黎明―渋沢栄一の目指した社会―」を開催いたします。
今回の企画展では、埼玉県の成り立ちや、明治大正期の県政などについて、文書館収蔵の国指定重要文化財「埼玉県行政文書」を含む公文書、古文書、地図資料から巡ります。
また、近代埼玉の歴史は、日本資本主義の父とも言われている渋沢栄一が活躍した時代と同じ時期でもあります。渋沢栄一と渋沢とゆかりのある資料を紹介することを通して、渋沢が目指した社会を浮き彫りにしていきます。
1 企画展の概要
(1)会 期 令和3年9月28日(火)から11月28日(日)まで
(2)会 場 県立文書館 1階 展示室
(3)開室日 火曜日から日曜日まで
但し、月曜日・祝日及び月末館内整理日9月30日(木)、
特別整理期間10月12日(火)~21日(木)は閉室します。
(4)開室時間 9時00分から17時00分まで
(5)観覧料 無料
(6)アクセス JR浦和駅下車徒歩15分
JR中浦和駅下車徒歩18分
公共交通機関を御利用ください。
2 展示構成と見どころ
プロローグ
Ⅰ 埼玉県の成り立ち
明治4年(1871)の廃藩置県以後、埼玉県は県の統廃合や県境の変更などを経て、明治9年(1876)にほぼ現在の埼玉県域となりました。地図や諸藩県の印、明治以降の武士の状況について紹介します。
Ⅱ 明治大正期の埼玉県政と地方制度
明治初期の県令は、明治維新の功労者など県外出身の士族が多く任命されましたが、県庁組織の整備や教育や産業に力を注ぎました。県令と県庁、地方制度の整備、県内の産業について紹介します。
Ⅲ 渋沢栄一が目指した社会
渋沢栄一は、地元深谷で藍玉取引などの商売を手伝いながら、従兄の尾高惇忠から学問を学びました。幕末には一橋家家臣として活躍し、明治以降は実業家として多数の銀行や会社設立に関わりました。渋沢の事績について、日本煉瓦製造会社資料や当館収蔵の古文書等より紹介し、栄一が目指した社会を浮き彫りにします。
エピローグ
3 展示点数
約110点 ※期間中に展示替えを行う予定です。
4 その他
御来館にあたっては、新型コロナウイルス感染症感染拡大防止対策に御理解と御協力をお願いいたします。
状況により、休館及び会期変更の可能性があります。御来館前に当館ホームページで最新情報を御確認ください。
主な展示資料
1 埼玉県及び入間県の設置布告
明治4年 (1871)埼玉県行政文書 明26-2 (重要文化財)
廃藩置県の実施前に、埼玉県域には埼玉県と入間県が設置されました。おおむね荒川を境に埼玉県は、埼玉郡、葛飾郡・足立郡の一部、入間県は横見郡、入間郡、秩父郡など13郡および多摩郡の一部が県域の範囲となりました。
2 野村盛秀肖像 埼玉県行政文書A16987
初代埼玉県令
明治4年(1871)に初代埼玉県令と なり、県庁組織の整備に力を入れました。
3 白根多助 写真 埼玉県行政文書A16987
二代埼玉県令
明治4年(1871)には埼玉県権参事となり、野村盛秀を支えました。野村の死後、明治6年(1873)に権令に、同8年(1875)に県令となり、明治15年(1882)まで、地租改正など多くの施策を展開し、「名県令」として名を遺しました。
4 血洗島諏訪神社社前渋沢栄一写真
大正3年(1914) 青木家文書9209
血洗島にある諏訪神社の社殿の前に立つ渋沢栄一の写真です。
5 日本煉瓦製造会社設立願(県指定文化財)
明治20年(1887)10月25日 日本煉瓦製造株式会社文書757
池田栄亮、渋沢栄一らの連署で、煉瓦製造会社設立願を東京府へ提出しました。その結果設立の認可を受けました。
【参考】連携先のシンポジウム情報
第31回全国産業教育フェア埼玉大会
「彩の国商業高校生渋沢栄一シンポジウム」
https://monjo.spec.ed.jp/page_20210917001623
【開館時間】
午前9時~午後5時
【休館日】
・月曜日(県民の日に当たるときは、その翌日)
・毎月末日(令和6年6.8.11月の末日は開館)
・祝日
・年末年始(12月29日~翌1月3日)
・特別整理期間(令和6年5月15日~24日、11月19日~28日)