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Ⅲ 成長への胎動 1955-1960

写真:3枚 更新:2020/06/08 作成:2020/06/08 管理者
 日本経済は昭和28年(1953)には戦前の水準を上回った。県内でも南部を中心に経済の発展、人口の増加が著しく、白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫のいわゆる「三種の神器」をはじめとした家電製品が普及した。他方、県内の米軍基地をめぐっては航空機の墜落事故などが問題となった。
狭山市の民家に墜落したB57 ジェット爆撃機(333) 昭和33年(1958)7月25日 狭山市 ジョンソン基地に配備されていたB57ジェット爆撃機がエンジン故障を起し、狭山市入間川の民家に墜落した。この事故で、B57の乗員1人、住人3人が死亡した。また、墜落とその後の火災で、付近8世帯29人が暮らす住居が全半焼した。
全国大会連覇を成し遂げた県立浦和高校サッカー部(269) 昭和31年(1956)1月9日 浦和市(さいたま市浦和区) 第34回全国高校サッカー選手権大会で優勝し、大会2連覇を成し遂げた県立浦和高校サッカー部の選手が優勝旗を手に北浦和の学校に凱旋した。これより先、浦和駅では選手を約800人の人々が取り巻き、優勝歓迎会が行われた。
合併後初の市議選を控え羽生市岩瀬地区で開催された立会演説会(246) 昭和30年(1955)4月 羽生市 4月10日に行われた羽生市議会議員選挙では、町村合併促進法の特例による定員127人の議会が解消され、定員30人を51人の候補者で争う激戦となった。なかでも岩瀬地区は最激戦地と目され、青年団主催の立会演説会が2日間にわたって4か所で開催された。