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Ⅳ 「政治の季節」から「経済の季節」へ 1961-1964

写真:3枚 更新:2020/06/08 作成:2020/06/08 管理者
 昭和30年(1955)頃から始まった高度経済成長のなかで、埼玉県内では工業化が進んだ。そうした成長を支えたのは、地方出身の若者であった。また核家族化が急速に進展し、県営住宅や日本住宅公団による大規模住宅団地が建設され、東京のベッドタウン化が進んだ。
「若い根っこの会」のパレード(384) 昭和36年(1961)4月16日 東京都豊島区 集団就職で上京し、商店や工場に住込みで働く地方出身者などが集った「若い根っこの会」の活動拠点として、川越に「根っこの家」が完成した。「根っこの家」は、図書室、談話室や囲炉裏付きの「ふるさとルーム」などを完備した鉄筋コンクリート造の建築だった。4月16日には「家」の完成を記念して、同会の加藤日出男会長や同会を支援した石田博英労働大臣らを先頭に、池袋から川越までパレードが行われた。
自動車であふれる戸田橋(407) 昭和37年(1962)2月10日 北足立郡戸田町(戸田市) 年々自動車の交通量が増加し、県内国道は「交通地獄」の様相を呈していた。国道17号の戸田橋では、昭和37年(1962)12月の調査によると1日に通過する自動車は延べ3万7,900台で、安全を確保できる交通量の6倍という状況であったという。
草加松原団地(449) 昭和38年(1963)12月19日 草加市 計画戸数6,000戸という、当時全国一の規模を誇った日本住宅公団の草加松原団地の建設工事は昭和36年(1961)3月に開始され、翌年12月から入居が始まった。草加松原団地の誕生によって、昭和38年(1963)6月に草加市の人口は5万人を超え、最終入居が始まった12月には6万人を突破した。